自然と共生する森の住宅 ゆったりと時が流れる
上質な時間つくば文化郷は里の自然村「ルーラル吉瀬」のおもてなし処です。かつては農家の住まいでした。
敷地内には自給自足の生活のなごりを留めるように居宅(おもや)とは別のさまざまな付属の建物が設けられ、
長屋(農作業所、物置など)、蔵、倉、書院(客)、はなれ(隠居)、庵などで構成されていました。
また、敷地の北側には北風を避ける高い生け垣や、広くとられた前庭など、筑波地方の農家の特徴も見ることができます。
傾斜地を活かした築庭には年中絶えることのない湧き水が水音をたて、四季を伝える古木と共に癒しの時間を提供しています。ご実家に帰った気分でたっぷりとおくつろぎいただけます。

平成27年11月、国登録有形文化財となりました。

つくば文化郷は筑波地方に根付く農家の家です。
かつて農家は居宅の「母屋」を中心に、来客を招く「書院」、多世代が同じ敷地に暮らすための「離れ」や「隠居所」、
そして、農作業をする「長屋」、家財やお米などを保管する「蔵」や「倉」、みそ、しようゆなどの自家製造所「味噌倉、
醤油倉」、燃料を保管するための「木小屋」、堆肥をつくる「堆肥舎」などなど、自営のための装備は大変なものでした。
そのため敷地も大きく、文化郷も約1000坪あります。それでも中堅の規模で、中には3000坪もあるお宅もあります。
また、長いサイクルで家系が維持されることを念頭に敷地内には防風を兼ねた「屋敷林」として杉や檜が植えられ、標
準で約80年のスパンで伐採、製材され、自家の建物の用材として使われました。
 文化郷は前記した全ての建物で構成されているわけではありませんが、当時を偲ぶ一面を今に伝えています。敷地
内では農作業の暇な時期に様々な手仕事の場であったことから、もてなし処としての機能と共に、手仕事の昇華でもあ
る陶芸などの工房(別館)や、作品発表のギャラリーなどがあり、ゆっくりとした時間が流れています。また、敷地南側に
は庭園が築かれ、年中枯れることのない湧き水が心地よい水音を立てています。春の新緑や秋の紅葉の時期はとりわ
け華やいだ雰囲気を醸し出します。

「旧根本家住宅」

登録有形文化財所見 安藤 邦廣

 

 桜川と花室川の間に位置するつくば市吉瀬集落(旧新治郡吉瀬村→栄村→桜村)に所在する。吉瀬集落は、北側に桜川流域の肥沃な低地帯が広がり、南側には雑木林の里山が広がる。敷地は、現在の吉瀬の本集落のほぼ中央の小字中郷に位置し約1000坪に及ぶ。東側の通りに面した中央に長屋門、その正面に主屋、敷地東北に納屋、主屋の背後に味噌蔵が配置されている。現在は取り壊されたが、かつては主屋と並んで書院が配置されていた。

 根本家は現存する位牌より十八世紀初頭にはこの地に定着したと伝えられている。屋号は、司右衛門(じえもん、一時期は治右衛門) を称している。

旧根本家住宅主屋

 主屋は、梁間五・五間、桁行七・五間の木造平屋建、寄棟の直屋で、屋根は金属葺きである。建設当初は茅葺き屋根であったが、小屋組の痕跡と伝承より大正期に瓦屋根に改修されたと考えられる。平成二十三(二〇一一)年の東日本大震災の被害により、同二十四(二○一二)年に現在の金属板葺きに改修され、煙出しが撤去された。

 伝承と明治十六(一八八三)年の地形図によれば、建築当初は主屋は敷地の北側に入口がが南面して建っていたと考えられるが、明治十八(一八八六)年に長屋門を建築した際に主屋が曳家され、現在は敷地の西側に入口が東面している。

 

 間取りは四間取りで、出入口は土間表側の他、ザシキ(座敷)の表側にゲンカン(式台)が設置されている。土間の大黒柱の通りにショウコク柱が建ち、アガリハナ(板敷きの小部屋)が突き出ていたと伝えられているが、ショウコク柱が当初材かどうかは確認できない。

「建築構造としては、大黒柱を用い、ヒロマ(ヒロマ)とコタツベヤ(茶の間)境およびザシキ(座敷)境に差鴨居を用いて分割し四間取りが完成されているが、正面と両側面の三方をせがい造りとして軒回りの形式を整えている点を考慮す ると、この主屋は十九世紀前期の建築と推定される。

 裏側の浴室は二代前の当主の亀一郎(明治十九年 ― 昭和二年)が増築したものの、廊下と便所はそれ以前 の増築と伝えられている。かつては、土間南側には小縁、土間の北面後方側にウマヤが突出して配置されていたが、昭和五十六(一九八一)年に、ウマヤを取り壊し、現在のかたちに土間の改築と増築が行われた。

 主屋は、平成元(一九八九)年まで住居として利用しており、その後平成七(一九九五)年からは地元の野菜をつかったレストランとして活用し、市内の古民家活用の先進的事例となる。

旧根本家住宅長屋門

 長屋門は梁間二間半、桁行九間、軒高は十二尺の木造平屋建、寄棟の瓦葺き屋根である。敷地東側の通りに面して配置されている。構造は、門を構成する架構のせがい造りが特徴的であり、正面と背面ともに出桁からさらに力垂木で軒が深く差し出されており、上層農家の格式を表している。外壁は漆喰塗りで腰壁が下見板張りとなっている。

 

 間取りは門を挟んで北側が倉、南側が作業場である。倉は板張りの床で、家財道具を収納していた。作業場はかつては土間で、戦前は当 家の小作人が起居していた。戦後は親戚の住まいと自転車業を営む場として利用された。昭和四十年代には養蚕の小屋として利用された。

 

この地域の長屋門の間取りは、門をはさんで一方が倉、他方が使用人の部屋という形式が一般的であり、当家の長屋門はその形式を持っている。

 建築年代は、小屋裏ほぼ中央に棟札があり、棟札墨書から建築年が明治十九(一八八六)年、棟梁が上ノ室村の久松元右衛門と判明する。

長屋門は、十九世紀前半と推定される主屋の建築以前であり、三代前 の当主の善太郎(一八五三年一一九三四年)が明治前期に建築したと いう伝承とも一致する。 昭和五十八(一九八三)年に展示室として改修し、昭和六十二(一

九八七)年に増築、現在は倉が事務所に、作業場が地域に開かれた展示室として活用されている。

 以上のように当家の主屋および長屋門は式台玄関を構えた十九世紀前期の上層農家のつくりの特徴をよくとどめている。この建築は、登録有形文化財登録基準の「一国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当し、登録有形文化財として相応しいものと判断される。(原文から一部を割愛しています)

(あんどう・くにひろ 筑波大学名誉教授)

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